ホームホスピス

『最期までどう生きる 最期をどこで迎える』*1というタイトルの公園&シンポジウムがあったので、出かけてきた。主催は私の勤め先と関連があるNPO愛逢
以前ヘルパー時代に希望の家というホスピスで研修した時のことも印象深いし、わが家(実家)では、死ぬときは、とか、死ぬ前はこうしたいとかいう話が割とよく出てくるので、そのときのことをよく考えるほうだということもあって、終末期のことには関心が高い。とはいっても死後の世界とかじゃなくて、生きている間のことに、やけど。
パネリストが個性的だったこともあり、予想よりも具体的な、少々生臭い話が聞けてよかった。みんなやりたいことを実現するために知恵を絞っているのだ。
地域の古い空き家を改装してホームホスピスをやっている人は「古い空き家は地域の力。元○○さんとこ、と認知されているだけで人が寄ってくる」と言っていた。また、別の医者は「地域で死にたいのなら、地域の嫌われ者やったらむり」と言っていた。生き様が死に様。寂しい死に方はせんでええようにしたい。
今日のメモから気になる言葉。

  • 私のいのちは、私のものだが、私だけのものではない。
  • 非協力的な患者家族にある気持ちは「この人を守れるのは私しかいない」という悲痛な気持ち。
  • 「人間」の尊厳は、「」の中を個別に○○さんと想像してこそ意味がある。
  • 家族は、家族にしかできないことをすればいい。
  • 大往生したければ救急車を呼ぶな。あわてる前に、「そのとき」の覚悟をしておきなさい。