動機の差

昨日、盲学校の先生と話をしていて気がついたことがある。晴眼者の鍼灸師は一国一城の主になることを夢見て、鍼灸学校に行く。盲人は、お金を得る手段として鍼灸を選ぶことになっただけで、勤め人になりたい人も多い、ということだ。
彼女は晴眼の専門学校の出身だ。卒業生の話をしていると、折に触れて「開業したらええのに」というのに私は正直違和感があった。
なんでそれしかないんや?そんなリスク負わなあかんねん?あんたは安定したええ給料もうとって…と思ってしまうのだ。
鍼灸学校に行く晴眼者は、(ええ意味で)ヘンコが多いそうだ。アーティスト風の人が多いということだ。それは、わかる気がする。
彼らは、人に使われるなんて真っ平だ。マイペースでゆっくり暮らしたい。こせこせ儲けなくても、スローライフで行きたい、と思っている。
私らは、仙人になりたくて鍼灸あんまをやり始めたわけではない。何やったらできるか、と考えた結果が鍼灸あんまだっただけだ。食べて行きたいのだ。お金が稼ぎたいのだ。生活のために。だから、ボーナスがあったり、月給制だったりすることを喜ぶ人は多い。特に、年金のもらえない層とか、家族持ちの人はそうだ。もちろん、盲人も鍼灸が嫌いなわけではない。やっていたら面白くなってくる。
でも、晴眼者の鍼灸師と盲人の鍼灸師との差は大きいのかもしれない。